キリスト教Q&A


Q.1 アーメンというのはどんな意味ですか。またハレルヤというのは? 
A.1 アーメンというのはヘブライ語で「真実、まこと」という意味です。クリスチャンはお祈りの後でアーメンと言う事によって、「この祈りを心からおささげします」という気持ちをあらわすのです。
 また「ハレルヤ」は、やはりヘブライ語で「主を誇れ」、とか「主を讃えよ」という意味です。ヘンデル「メサイア」のハレルヤ・コーラス、アーメン・コーラスは有名ですね。
Q.2  なぜキリスト教は、他の神様は認めないのですか?
A.2 どの国でも最高責任者がいますね。大統領が二人いるとか、総理大臣が二人いるということはありえません。家庭でも妻が「夫」と呼ぶのはただ一人ですし、子供が父と呼ぶのも一人だけです。「そんなの心が狭すぎるではないか」と言う人はいません。
神様を「お守り」程度に考えるならたくさんいても問題はありませんが、「自分が従うべき方」と考える人にとって神はおひとりでなければならないのです。ただし、「他の神を認めない」という事は「他の神を信じることをさせない」と同じことではありません。神を信じることは自発的な心からなされることだからです。
 十誡の第1の戒めで神は「あなたにはわたしの他に他の神があってはならない」と教えておられます。唯一の神を信じることはまずこの私に求められているのであり、他の誰かに対してではありません。わたしの信仰を他の人に強制してはならないのです。
Q.3 「良い人」でないと教会に行けないのでしょうか
A.1 イエス様は医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と教えられました。健康だから病院に行く、という人はいませんね。そして病院でもまだ病気の重い人、回復途上にある人がいるように、教会にも様々な人々がいます。でも、どんなに立派に見える人でも神の助けを必要としない完全な人はいません。大切なのは自分の健康、つまり立派さを誇る事ではなく、より健康な生き方、つまりより良い生き方を願い続ける、という事です。
Q.4  なぜキリスト教には様々な教派があるのでしょうか?
A.2 イエス・キリストの教えは世界に広がり、それが伝えられた国や地域によって異なる文化や歴史の中を通ってきたので、組織のあり方や、礼拝の様式、伝統が教派によって違っています。しかし使っている経典や信仰の対象が違うのではありません。どの教派であっても使っているのはまったく同じ内容の聖書であり、信じているのは神の独り子であるイエス・キリストです。
 明治に日本に来たプロテスタントの宣教師たちは、教派は違いましたが、お互いに話し合って合同しました。しかし伝統や習慣が大きく違う場合は無理に合同しないで、それぞれのカラーを大切にしました。お互いの長所を認めあい、協力してゆくほうが良いと考えたのです。
 各町や県には教派を越えた交流があり、国際的な教会会議も定期的に行われています。聖書が同じで、信仰も同じですから世界のどの国の人でも「クリスチャン」ということだけで心が通じ合うのです。また自分が引っ越したところに自分の教派の教会がないときには、他教派の教会に所属しますし、または家から一番近い教会に通う人もいます。
Q.5 キリスト教では仏教のような先祖供養はしないのですか? 
A.1 聖書の中の十誡では「あなたの父と母とを敬え」と教えています。この「父と母」という言葉は複数形ですから、祖父や祖母、目上の人々、さらにはあなたの先祖も敬いなさい、という事になります。私たちは両親とそれにつながる先祖も尊敬しなければならないのです。でも「尊敬する」ことと「拝む」ことは違います。私たちは先祖のことを覚え、先祖を敬い、また感謝しますが、人間を神として礼拝する事はしません。神でないものを神として拝むことは間違った道に私たちを導いてしまうからです。
 日本では古代から死者を供養する事によって先祖が神になり、子孫を守ってくれると考えていました。またそれを怠ると悪い事が起きると恐れたのです。そしてその習慣は後に伝来した仏教の中に取り入れられました。ですから先祖崇拝というのは仏教本来の教えではありません。みんながそうしているから、というのではなく、自分が信じるもの、また拝むものについて考える事が必要です。
Q.6  キリスト教はお酒やタバコを禁じているのでしょうか?
A.2 教会によって傾向の違いはありますが、クリスチャンにとっては食べ物や飲み物について、またそのほかのことについて宗教的な戒律や禁止は一切ありません。イエス・キリストは「口から入るものが人を汚すのではなく、むしろ人から出る悪い思いや言葉が人を汚すのである」と教えています。ですからお酒やタバコをやめないとクリスチャンになれないというのは間違いです。でも健康を害したり、他の人に迷惑をかけたりしてまでもお酒やタバコ、それにギャンブルがやめられない、というのは決して幸せではありませんね。でも神様の力を頂いて生きる時、それまで自分を束縛していた様々な力から解放されてゆきます。私たちは自分にはないその力を頂くために神を信じるのです。